皇居勤労奉仕団 御垣守 編
『御垣守 衛士の焚く火の 夜は燃え
昼は消えつつ ものをこそ思へ』
大中臣能宣氏
(小倉百人一首 第四十九番)
一つのテーマに基づいて、調べて行く過程では様々な出会いがあるようです。勿論、人だけでなく書籍等のコンテンツも含まれます。作家として有名な田辺聖子氏が手掛けた訓釈本の存在に気が付きました。
「訓釈(くんしゃく)」と言う語彙は「①ある字句の意義を解き明かすこと ②字の語義や発音を注したもの」と、goo 国語辞書に記載されていました。つまり、「難解な文章を紐解いてゆくこと」でしょうか?
御垣守(みかきもり)とは御所の門番です。衛士(えじ)は現在の皇宮警察や皇居勤労奉仕団の起源であると推定されています(小名木善行氏)。
田辺聖子氏によると、衛士は日本全国から選抜された優秀な兵士だったそうです。また、宮中の公事(くじ)の雑役、清掃、警備に携わり、3年の任期で交代制だったようです。
只、注目すべきは"手弁当"だったことです(小名木善行氏)。勿論、それは大雑把な表現で詳細は割愛しますが、朝廷からは必要経費が出ないのです。何かしら強い動機付けが無い限り、長期間に渡ってその様な"持ち回り"は存在できなかったでしょう。
現在、皇宮警察(警察庁の付属機関)が御垣守の役を担います。勿論、給料が支給されていますが、幕末までは各藩の"持ち回り"でした。必要経費は其々の藩、即ち御大名が負担していたのです。
宮中の清掃等で活躍する皇居勤労奉仕団も"手弁当"の世界です。さらに、お勤めをされている方でしたら、参加する間の辻褄を合わす事が求められます。つまり、職場での人間関係がしっかりしていないと参加が叶わないのです。
一つの目標を達成する為には、それを成り立たせる根拠が求められます。性質上、皇居勤労奉仕団に参加するには身元がしっかりとされた人物でないといけないのです。また、世話役を担う方との長年に渡る信頼関係が前提になる事は言うまでもないでしょう。
さて、田辺聖子氏の訓釈本の話題に戻りましょう。それは小倉百人一首を紐解いた本。「ある問題を解決する為に、構成する要素を解決する過程で解決する」と、読みながらその言葉が浮かんできました。また、その言葉を思い出して深く感嘆致しました。
第49番の大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)氏の作品は御垣守を題材にしています。実は、田辺聖子氏は第49番が何を表現しているのかを直接論じていない印象を受けました。同時に、百人一首に登場する衛士(えじ)の逸話にも面白さを覚えました。
その逸話とは「田辺聖子の小倉百人一首」の中で、更級日記(著・菅原孝標女, すがわらのたかすえのむすめ)に描かれている内容が紹介されているそうです。寧ろ、「敢えて間接的に論ずることで本当に伝えたい事を表現した」と、タイムラグを伴う山彦に似た感動を覚えました。
或る日の事、衛士が故郷を思い出して、独り言をつぶやいていたそうなのです。皇女がその独り言に興味を抱きました。対話の末、何と「故郷に連れて行くように」と、皇女が命じたのです。
もっと驚いたのが、駆け落ちしたその男を処罰なさらなかった事でした。出身地である「武蔵の國の守(かみ)」になさったそうです。とても懐が深いお方だったようですネ。
実は、衛士の独り言には理由があった様なのです。任期が終わったにも拘らず、帰郷が叶わなかったので落胆してしまったのです。その経緯は「竹芝伝説」として有名です。
抑々、自分の利益の為に衛士になったのではないのです。志を持って、はるばる都にやって来た男性が落胆しているのです。慈しまれて育てられた皇女が心を動かさない理由は何処にも存在しないはずです。
心意気が素敵じゃないですか!? はっきり言って、実話かどうかはどうでもいい。物語が伝えようとする気概や考え方が感動を呼ぶと思うのです。もし、お相手がそんな女性だったら、命懸けで添い遂げたいと思いませんか?
勿論、皇女と衛士は夫婦となり、仲睦まじく暮らしたそうです。後に、二人が暮らした住まいがあった場所は竹芝寺として生まれ変わりました。衛士は皇女が他界した後も連れ添ったのです。男気を感じすにはいられませんよネ(*^^)v
さて、話は若干脱線しますが、現在の済海寺(さいかいじ, 東京港区三田)に竹芝寺があったと推定されています。近年、少子高齢化が叫ばれ、結婚する機会を上手く活かせない男女が多々見受けられる様です。皇居勤労奉仕か済海寺の逸話が絆を紡ぐ機会になるやも知れませんネ。
今回、田辺聖子氏の著わした本に軸足を置いてお話をしてみました。実は、御垣守の歌には間違った解釈が多く存在するのです。実際に、本屋の店頭や図書館で調べてみて下さい。その多くの本は"恋愛"の歌だと解釈しています。
志を持って、遠路はるばるやって来る衛士達は手弁当でその役目を担います。「その志の尊さと国體の本義を伝えようとしているのではないか?」と、拙い私はその様に感じました。
「ある問題を解決する為に、構成する要素を解決する過程で解決する」と、自然にその言葉が浮かんできました。訓釈本を著した田辺聖子氏はとても賢い女性だと感嘆しました。改めて、膨大な作品リストを眺めている自分に気が付きました。
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