トリックスターで「和心」に迫ってみよう!

《序論》

「古事記」の楽しみ。沢山の新しい発見が体験できます。それは神話ではなく、神語り(かむかたり)と表現する人もいます。

「神語り」とは、私達の遠い遠いご先祖様達の体験談。そのリレー走の事です。先人達が命懸けで見出した智恵や哲学の宝庫です。

兎に角、人間臭い。例えば、神聖な空間なのに排泄物!?で呪詛をかけてしてしまう神様。古事記には、お茶面で痛い神様が登場します。勿論、彼は罰を受け天上界から追い出されてしまいます。

でも、人間の暮らす空間に下りたら、化け物を退治してしまう。策略家であり、武人でもある。彼はとても人間臭い英雄です。初めて、倭國で「和歌」を詠んだ天才的文化人でもある。そう、彼は「トリックスター」其の物であった。

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「トリックスター」とは、人類学者ポール・ラディン(Paul B. Radin)氏が生み出した言葉。ポール・ラディン氏はアメリカインディアン・ウィネバゴ族の民話の研究で有名。その逸話の収集と分析を試みた著書が「トリックスター」とタイトル付けされています。

敢えて、「古事記」は神話ではなく、私達の先人の記憶と定義したい。何故なら、神話と神語りに言及する際に、避けては通れないトラップが存在するからだ。誤解を恐れずに言及するならば、神話とは失われた民族の物語だと表現できよう。

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時に、日本の文化や歴史は「比較神話学」を用いてカテゴライズされてしまう。唯一無二の存在を横並びの価値観としてブランディングされてしまう懸念を抱く。私達の「神語り」とは太古の時代から続いている唯一無二の存在。つまり、現在進行形なのだ。

因みに、「比較神話学(ひかくしんわがく, Comparative mythology)」とは、神話学の一部門である。様々な異なる文化に属する神話を比較し、普遍的なテーマと性質を見いだす学問と、ウィキペディアに記載がある。

ここでは、私達が暮らす日本には「和」があることを伝えたい。私達は「和」の人であること。「和」とは、私達日本人の「生き方」其の物であること。そのことを再確認する機会にしたい。

《本論》

「トリックスター」に纏わる紐解きを通じて、日本人が自然に持ち合わせた生き方である「和」についての核心部分に迫る事ができるかどうか? 今回の一番の関心事はその一点にある。何故なら、「トリックスター」はトラブルメーカーであるが、英雄でもあるからだ。

兎に角人間臭い。その様に、一言で端的に表現する事ができる。些か大まかさをいがめないが、北米、西欧、亜剌比亜、印度、振丹、そして私達の暮らす國日本の六つの國家と地域における其々の例を挙げてみたい。

「トリックスター」とは、人類学者ポール・ラディン(Paul B. Radin)氏本人が著わした出版物に於いて生み出した言葉であるが、ユング心理学として著名な C.G.ユング(Carl Gustav Jung)氏が共に起草している事が注目に値するであろう。

「コヨーテのおはなし」と、題したネイティブ・アメリカンに纏わる民話を集めた絵本を見つけました。 リー・ペック氏のストーリーに、ヴァージニア・リー・バートン氏が挿絵を描いています。

人類・地球・生命および宇宙の起源が描かれていて、「コヨーテ」が人間に文明をもたらした存在として登場します。

薄暗くて寒い環境で、煮炊きもできずにいた人間を哀れに思ったのでしょうか? コヨーテは人間に「火」を与える為に行動を起こします。「火の玉」の持ち主である、醜い老婆を騙しましてしまします。

そして、「火の玉」が太陽に... 老婆から逃げる途中でかけらが飛び出ました。かけらから、星や月が生まれたのだそうです。

更に、コヨーテは人間に家畜も与えます。コヨーテが家畜を襲うのは、それら人間への贈り物に対する見返りだった様です。

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※「コヨーテのおはなし」より、起草中...

要リサーチ▶

◎著作物, 「トリックスター」人類学者ポール・ラディン・著

具体例,

アメリカインディアン、ウィネバゴ族の民話

◎「コヨーテのおはなし」,

牛久図書館

cf. スー族, 宗教とトリックスター

コヨーテのおはなし

児童書

作: リー・ペック

絵: ヴァージニア・リー・バートン

訳: あんどうのりこ

出版社: 長崎出版

ネイティブ・アメリカンに伝わる民話集です。賢い動物とされているコヨーテが、すべてのお話の主人公です。のろまなカメを助けたり、ガラガラヘビを懲らしめたり、時には純情なオポッサムをだましたり。動物たちのユーモラスな姿を、バートンが魅力あふれるイラストで描いています。1942年の作品で、初の邦訳です。

https://www.ehonnavi.net/ehon/87764/%E3%82%B3%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%86%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%97/

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では、西欧を象徴するであろう「キリスト教社会」ではどの様な事例が見受けられるのであろうか? 「禁断の果実, Forbidden fruit」を食べたアダムとイブの「楽園追放」が有名。

楽園に暮らすアダムとイブ達が、ゴッドからの言い付けである「禁断の果実」を食べてしまう。その逸話に、トリックスターとして扱われる「蛇」が登場する。

ゴッドは彼らに其々異なる罰を与えた。「禁断の果実」を食べた事で人の寿命が定まった。女・イブは出産の苦しみを担わされてしまう。また、「土」から呪われた男・アダムは生活の糧を得る為に苦痛を覚えるようになった。

実は、「蛇」は人類の祖であるアダムとイブ其々に苦痛をもたらしたが、同時に「文明」ももたらした。一生、這い回る生活を強いられた「蛇」だったが、人類に与えたのは苦痛だけではなかった。「Culture」とは、「耕す」を意味するラテン語「colere」が語源だ。

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ここで、亜剌比亜(アラビア)世界に目を向けてみたい。ササン朝ペルシャの王シャフリヤール(架空の人物)にその後妻が語る物語「千夜一夜物語」がある。その物語に登場するアブー・ヌワースに注目したい。

「千夜一夜物語」はシャフリヤール王の妃の不貞がキッカケで物語が始まる。女性不信に陥った王が街の生娘を宮殿に夜毎呼んでは、翌朝その命を絶つ行為を続けた。

常軌(じょうき)を逸(いっ)する行為に困り果てた大臣の一人に献身的な娘がいた。その娘・シェヘラザードが後妻として、命懸けで王の夜の話し相手を務めた。

さて、アブー・ヌワースであるが、人格が独り歩きする位人間臭いようだ。本名はハサン・ブン・ハーニィ・ハカミーで、享楽的な酒寿ひ(さかほがい)や恋愛を得意な詩人である。その呼び方は通り名で、「髪を束ねて房にしたおやじ」を意味するそうだ(wiki.)。

実在した人物像から人格が独り歩きしてしまった背景として、「千夜一夜物語」に道化的なキャラクターとして登場した事が影響したのではないか? その様に、推定できない事もない。

アラブ世界の民話、特にアフリカ地域では「アブヌワシ」と呼ばれ、狡猾なキャラクターとして登場する(三人の愚かなアラブ人, http://web.kyoto-inet.or.jp/people/keiko-ku/Africa/Swahili%201-20.htm )。

子供たちが楽しむ「伝言ゲーム」を想像して欲しい。伝播の過程で異質な物に変容してしまうものだ。また、ウィキペディアでは中東地域で著名な思想運動 "Pan-Arabism" との関連性を指摘している。

要リサーチ▶

◎千夜一夜物語

「千夜一夜物語」に登場するアブー・ヌワース

於, 牛久図書館

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アブー・ヌワース著『アラブ飲酒詩選』,

https://prof-shima.com/2019/06/28/%E6%9B%B8%E7%B1%8D%E7%B4%B9%E4%BB%8B%EF%BC%9A%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9%E8%91%97%E3%80%8E%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E9%A3%B2%E9%85%92%E8%A9%A9%E9%81%B8/

「千夜一夜物語」に登場するアブー・ヌワース

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9

アブー・ヌワース,

プロフィール,

https://goo.to/word/1117011389

アブヌワシ (1):三人の愚かなアラブ人

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/keiko-ku/Africa/Swahili%201-20.htm

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西暦B.C.600頃の印度では、仏教の開祖である釈尊(しゃくそん, 釈迦(しゃか)の敬称, Gotama Siddhattha)が活躍しました。実は、釈尊には前世と前々世があったらしい。

「法華経」に登場する常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)がその前世だとされてます。「私は深くあなた方を敬います!」と、常不軽菩薩は但行礼拝(たんぎようらいはい)の菩薩行で有名。

「決して軽んじたり致しません。」と、合掌しながら拝むので「常不軽」とあだ名まで付いてしまいます。「必ず貴方は仏になることができます!」と、記別(きべつ, 仏が弟子の未来成仏を予言する事)を授けて回ります。

「記別」を授かる事を「受記」、また与える仏が授ける事を「授記」と表現します。とても厳かな雰囲気が伝わってきます。現世に於いて、釈迦本人も過去世で燃燈仏(ねんとうぶつ)から受記されたとされているそうです。

つまり、出会う人毎に但行礼拝をしながらの「記別」はスレスレの行為だったに違いありません。もしかしたら、軽い「褒め殺し」状態をもたらしていたのかも知れません。

常不軽菩薩にとっては真面目で厳格な菩薩行ですが、拝礼を受けた人物にとってはかなり鬱陶しかった様です。常不軽には、常に軽蔑されたという別の意味もあるそうです(ミニ法話,法華宗真門流)。

罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせるだけでなく、棒や杖で打ち据えたり、投石等暴力を振るう輩もいたそうです。これを「増上慢(ぞうじようまん)に陥っている人達から法難を受けた」と、立正大学で教授を務める原愼定(はらしんじょう)氏が説明しています(平成21年2月1日放送, NHKラジオ第二「宗教の時間」)。

増上慢とは、思いあがりの心にとらわれて自己を省みることのできない状態を意味するそうです。結果的に、礼拝を受けた人物にとって、無意識に存在する慢心を刺激されて辱めを受けてしまった。

ところが、常不軽菩薩は様々な迫害を忍受(にんじゅ)します。この忍受を過去世で犯した誹法(ほうぼう, 仏法を誹謗する事)の罪に対する滅罪と、日蓮上人(にちれんしょうにん)は解釈したそうです(原愼定氏)。

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お釈迦様・釈迦牟尼仏について,

法善寺・信州信濃(長野県東御市)

http://www.ueda.ne.jp/~houzenji/sub46.html

やさしい法華経物語

http://www.sunlotus.org/tales/yasashi/011_020/yasashi15.html

お釈迦様のカミングアウト

「あなたを尊敬いたします。決して軽んずることはいたしません。あなたは菩薩の行をして、仏になられる方だからです」

 言われた者の中には、仏さまにしかできない授記(じゅき=仏に成るという証明を与えること)をされたといって瞋(いか)りだす者もいて、非難はおろか、棒切れで打とうとしたり、石ころを投げつける者までいた。しかしこの菩薩はそれでも走り逃げ、遠くからなお大声で『あなたは仏になられます』と言って合掌礼拝したのだ。

ミニ法話,

法華宗 真門流,

http://www.hokkeshu.jp/houwa/083.html

常不軽とは、常に軽んぜずと読みますが、他には、常に軽蔑されたという意味もあります。なぜ軽蔑されたかと申しますと、常不軽という人は、どのような人に対しても、あなた方は、必ず仏様になれますよ、と礼拝して回られました。しかし、中には怒り出す人もおり、心が不浄な者は、「この無知な者は何様のつもりで軽んぜずと言い、我々に仏になると授記をさずけるのか、我々はこのような虚妄の授記はいらない」と、悪口を言い罵詈雑言を浴びせかけたのです。なかには杖や木の棒で打ち据え、また、石や瓦を投げつける者もいたのですが、この比丘菩薩は、逃げはするのですが、遠く離れた場所から、なお大声で先ほどの言葉を語ったのです。

常不軽菩薩の受難

立正大学教授原愼定(はらしんじょう)氏

聞き手は金光寿郎氏,

平成二十一年二月一日NHKラジオ第二「宗教の時間」放送

http://h-kishi.sakura.ne.jp/s-158.htm

増上慢(ぞうじようまん, 思いあがりの心にとらわれて自己を省みることのできない状態)に陥っている人たちにとっては、自分では気づいていない心の内の慢心が刺激されて、仮面が剥(は)がされることになったわけです。見せかけの出家者であったことが暴露されては都合が悪いので、常不軽菩薩を迫害したわけです。

...このように日蓮聖人は、常不軽菩薩が増上慢の四衆から法難を受けたのは、過去世の法華経誹法(ほうぼう, 仏法を誹謗する事)の罪によるものであり、法難を忍受したことによってその滅罪を果たすことができたという解釈に立っています。要するに常不軽菩薩の受難という宗教体験は、敵対する相手の罪を顕すとともに、自己の罪を炙り出す行為として意味づけられているのであります。

日蓮上人,

聖人

http://www.myokoji.jp/page/menu_2/koshozan/213_04.htm

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「アダムとイブ」の生涯とは?林檎の由来や『聖書』と絵画も解説

TRANS.Biz,

https://biz.trans-suite.jp/25491

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ポール・ラディン( Paul B. Radin )

https://www.nitesha.com/?pid=72492798

トリックスターとは、その自由奔放な行為ですべての価値をひっくり返す神話的いたずら者、いわば文化ヒーローとしての道化である。本書は、アメリカインディアン、ウィネバゴ族のなかで語りつがれてきたおびただしいトリックスター物語を、人類学者ポール・ラディンが収集し、これに、カール・ケレーニイ、C.G.ユングによる神話学的、心理学的分析を付してなった。多彩な知性の協力によってトリックスター像の解明を試みる独創的な書物である。(本書説明文より)

がインディアン民話の研究から命名した類型である。カール・グスタフ・ユングの『元型論』で取り上げられたことでも知られる。

神語,

https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E8%AA%9E-537269

小名木善行氏

http://nezu3344.com/blog-entry-3416.html

ポール・ラディン( Paul B. Radin )

https://www.nitesha.com/?pid=72492798

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中国

トリックスター群像―中国古典小説の世界 (日本語) 単行本 – 2007/1/1

井波 律子 (著)

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E7%BE%A4%E5%83%8F%E2%80%95%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%A4%E5%85%B8%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-%E4%BA%95%E6%B3%A2-%E5%BE%8B%E5%AD%90/dp/4480839054

哪吒(なた)は、道教で崇められている少年神、もしくは中国仏教もしくはヒンドゥー教[1]の民話・説話の登場人物である。

托塔天王(毘沙門天)の三男である事から哪吒太子(なたたいし)、あるいは哪吒三太子(なたさんたいし)[2]とも呼ばれる。

哪吒(なた)「殷と周」王朝交代の狭間での物語

http://ichiku37.blogspot.com/2014/01/blog-post_3.html

https://youtu.be/-nZ2g3Tgv8Q

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ユーラシア大陸の東に数多の王朝が興亡する。印度ではこの地域を"シナスタン"と呼んだ。様々な表現があるが、その一つに「振丹」と漢字を当てた。

トリックスターとして、打って付けのキャラクターが「封神演義(ほうしんえんぎ)」に登場する哪吒(なた)だ。明代に成立した神怪小説で、作者は許仲琳とされるも謎が多い。

神怪(しんかい)とは神仙(しんせん, 仙人)と妖怪の事で、殷代末から滅亡および周建国に至るまでが物語の舞台である。

その小説では、仙人・道人・妖怪達が人界と仙界を往来する、激しい戦いが展開するそうです。フィクションやファンタジーの色合いが濃いと、ウィキペディアに紹介されています。

トラブルメーカーでもあり、英雄でもある存在がトリックスターだ。哪吒はそのロールモデルにピッタリと当てはまる。哪吒は生誕から特殊な存在だ。何と、母親は3年6ケ月も宿していた。

肉塊に包まれて生まれた。既に、宝貝(パオペエ)と呼ばれる魔力を秘めた武具二つを携えていた。その二つとは、「乾坤圏(けんこんけん)」と「混天綾(こんてんりょう)」である。

因みに、乾坤圏は鈍器の一種で形状が「輪」である。投げて使い、相手に打撃を与える。また、混天綾は赤い帯状で、水を操る力を宿す。

さて、トラブルメーカーとしての哪吒に注目してみたい。抑々、哪吒は仙人・太乙真人(たいいつしんじん)の弟子・霊珠子であった。人間世界に送り込まれた能力者であり、後に中壇元帥(ちゅうだんげんすい)として姜子牙(きょうしが)を補佐する。

紛紜(いざこざ)の元を辿ると、哪吒自身が身に付けていた「宝貝」が禍していた。哪吒が水浴びの際、「宝貝」の持つ不思議な力が東海竜王・敖光の竜宮を崩壊寸前にまで揺らしてしまっていたのだ。

東海竜王は四海竜王の一人で、751年に唐朝玄宗が四海の神に封じた由来を持つ。東海竜王に派遣された巡海夜叉李良と息子敖丙であったが、何と哪吒が殺めてしまう。

特に、東海竜王の子・敖丙に対する「死屍(しし)に鞭打つ」行為は敖光を激昂させる。竜の姿の敖丙を背中の筋を抜き絶命させるが、こともあろうか哪吒は背中の筋を送り付けてしまう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%B9%99%E7%9C%9F%E4%BA%BA

https://dic.pixiv.net/a/%E5%93%AA%E5%90%92%E5%A4%AA%E5%AD%90

http://www.jiten.info/dic/nataku.html

幻想世界神話辞典

http://www.jiten.info/dic/nataku.html

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SUIKO

好きなもの:ファンタジー、神話、中国神怪小説、鉱物、工芸、神社神殿、植物、風景、旅行。集めるとアイテムと世界に行きつくらしい。気が向くと何か始めます。著書:集英社文庫版『封神演義』(編訳)他。Amazon著者ページ https://amzn.to/2XU7wyJ

https://note.com/suikosuiko

神怪小説、神魔小説とは

 中国古典の神怪(神魔)小説というのは、中国古典小説のうち、主に明代・清代の古典小説で、神仙などが主題となっているもののことです。

https://note.com/suikosuiko/n/ne75959909385

『殷周伝説・太公望伝奇』(いんしゅうでんせつ・たいこうぼうでんき)は、横山光輝による日本の漫画。

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さて、いよいよ世界最古の國と誇る私たち日本のトリックスターのお話に迫ってみたい。まず、大国主命(大穴牟遲の神)と因幡の白菟との出会いに注目したい。

大穴牟遲の神は腹違いの兄神・八十神達と共に、因幡の八上比賈に婚姻を求める旅にでた。その旅路での出来事である。

兎に角、人間臭い。菟が悪智恵を働かせ和邇(ワニ)を騙すが、肝心の場面で詰めが甘いからだ。和邇(ワニ)を騙した代償を負い、大怪我をしてしまう。

泣きっ面に蜂とはこの事だろうか? 先に通りすがる八十神達の助言を疑いもせずに受け入れ、更に深手を負ってしまう。ところが、後からやって来た大穴牟遲の神の善意で快方に向かう。八上比賈との婚姻を予言する。

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この様に、八上比賈との婚姻を成し遂げた大穴牟遲の神であったが、八十神達から執拗に命を狙われる事になる。

そこで、母神刺國若比賣(さしくにわかひめ)の勧めで、紀井の國の大屋毘古神(おおやびこのかみ)に身を寄せる。結局、八十神達が押し掛けてきてしまい、改めて刺國若比賣が黄泉の国に須佐之男命を訪ねるよう促した。

大穴牟遲の神(大国主命)が身を寄せた須佐之男命こそ、トリックスターとして特異な存在である。須佐之男命は高天原で数多の禁忌を犯した神としても知られる。

当初、天照大御神は禁忌を犯した須佐之男命を庇い立てたが、遂に天岩戸(あまのいわと)にお隠れ遊ばした。

これらの所業から、須佐之男命は高天原から追放の憂き目に遭う。しかし、天下る須佐之男命はまるで異なる人格へと豹変するのである。

まず、追放されたばかりの須佐之男命は大氣津比賣神に食べ物を乞う。些か荒々しさだけが印象的ではあるが、その時の逸話が五穀と養蚕の起源とされる。

腕力だけでなく、須佐之男命は戦略や戦術にも秀でる。八俣遠呂智退治の折、その実力が遺憾なく発揮する。

八俣遠呂智退治の後、須佐之男命は大神と呼ばれ、出雲須賀の地に宮を築きます。和歌の起源を、櫛名田比賣と暮らす「須賀の宮」の造営に求める事ができる。

須佐之男命は正統性を象徴する神器を、天照大御神と大穴牟遲の神(大国主命)其々に齎(もたら)します。

天照大御神に、八俣遠呂智退治の折得た都牟刈太刀(つむかりのたち)、後の草那芸剣(くさなぎのつるぎ)を献上します。

また、大国主命には、生大刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)・天の詔琴(あめののりごと)を黄泉の国から持ち出す事を認める。

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覚書[012921]

文章の構成等作業途中

◎「和」とは、自然と一体化する営みである

人は自然の一部である

「トリックスター」に纏わる紐解きを通じて、日本人が自然に持ち合わせた生き方である「和」についての核心部分に迫る

◎まとめと結論

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これまで、「トリックスター」について、北米、西欧、亜剌比亜、印度、振丹、そして私達の暮らす國日本の六つの國家と地域に於いて其々の紹介を試みてきた。

その試みは、「和」についてその核心に迫る為だった。それは、日本人が自然に持ち合わせた生き方其の物である。

「トリックスター」は人に対して益にも害にも成り得る存在で、「和」との間に共通項を感じさせる。どちらも、「森羅万象」の一つであり、そのものでもある。

あらゆる現象、宇宙に存在する全てを「森羅万象」と言う。古来より、森羅万象に霊魂が宿るとする世界観を私達は育んで来た。つまり、「和」について語られる際、"既に"この世の中に存在する事が前提となる。

「和」を連想させる言葉に"harmony"がある。「調和」や「適合」を意味するが、「和」とは異なる背景を持つ。即ち、調和や協力する行為に至るまでに、決断等何ら過程を経る事になる。

"harmony"は、その語源をギリシャ神話に登場する女神ハルモニア(Harmonia)に由来する。"Harmonia"は異質な世界を繫ぎ合わせる女神として描かれる。軍神アレス(Areus)の娘で、英雄カドモス(Cadmus)の妻だ。人との結婚をして、神々からの祝福を受けた最初の女神でもある。

その物語が始まるのが、カドモスの姉妹エウローぺが失踪した事がきっかけだった。エウローぺ(Europa)はフェニキアの古代都市テュロスの王女で、ヨーロッパの語源とする説もあり興味深い。

エウローぺはとても美しく、ゼウスはその心を奪われてしまう。一目惚れしたゼウスは白い牡牛に化け、エウローぺを攫(さら)ってしまう。フェニキア王アゲーノール(Agenor)は息子達に捜索を命じる。

ところが、母テーレパッサ(Telephassa)と共にカドモスは旅に出るが、途中テーレパッサが絶命してしまう。そこで、カドモスは神託を仰ぐ。捜索を諦め、雌牛の導きで都を定める内容だった。

カドモスは牛飼に白い満月の模様の雌牛を求め、疲労で倒れるまで歩かせた。その地でアテナ像を建立し、その儀式に倒れた雌牛を供物にしようとした。そこで、配下に泉の水を汲みに行かせるが、見張りの大蛇に命を奪われてしまう。

カドモスは配下の敵を討ち、大蛇を絶命させる。生贄を捧げた時、アテナ神が現れた。カドモスを褒め、大蛇の牙を地中に播くように伝えた。

播いてみると、地中から武装した男達が現れ乱闘を始めた。生き残った「播かれた者達」はスパルトイ(Spartoi)として忠誠を誓う。

只、大蛇が守っていたのは、軍神アレース(Areus)の泉だったのだ。贖罪で、アレースの奴隷として8年間過ごすことになる。

後に、アテナは英雄カドモスに牛の国を意味するボイオーディア(Boeotia)の地を与える。カドモスはカドメイアと名付け、後日テーバイと呼ばれる。この地で、軍神アレースの娘ハルモニアと結婚する。

◎父王アゲーノールからの使命

◎軍神アテナの神託

◎軍神アレースの泉での儀式

◎播かれた者達の忠誠

◎軍神アレースへの償い

◎和解と娘ハルモニアとの婚姻

この様に、「和」を連想させる"harmony"の語源をギリシャ神話に求めてみた。調和や協力する行為に至るまでのその道のりが、かなり難儀な代物であることが理解できよう。文字通り、"Harmonia"は神と人の異質な世界を繫ぎ合わせた女神であった。

因みに、「森羅万象」とは仏教にある概念である。「和」を紐解く事は、日本に古来から存在する概念を外来の概念で説明する事でもある。ただ、上代に「森羅万象」を表す言葉は存在しなかったのか? そんな不思議な感覚も覚える。

日本は世界最古の國であり、悠久の時を刻んできた。今年、西暦2021年は神武天皇陛下が建国して2681年目である(皇紀2681年)。それ故に、自らの思考哲学を、他者との比較をする事で、その独自性を認識する機会が多かった事だろう。

実は、「和」という言葉には、他言語に翻訳しにくい概念が内包されているのだ。「和」の概念とは、その特殊な世界観への理解があって初めて認識されるに違いない。

時に、自分達が何者であるかを知り、その定義を共有せざるを得ない局面がある。それは外からの圧力を受けた時期だったり、疫病や内乱等の混乱から秩序への再構築の過程だ。

更に、国外で用いられる価値観、特に宗教的な概念や科学技術に内包された発想を用いて、古来から存在する自らの思想哲学を紐解いた可能性も高い。

例えば、「明察功過」と云う概念をご存じだろうか? 聖徳太子の制定した十七条憲法の第11条にある。"五感に頼らない知覚"で物事を把握し、物事が形になる前に行動できる力の存在が前提にある概念だ。

「明察功過」には、未だ成果が無くても素晴らしい心掛けや行動に対して、褒めて支援する性格を帯びる。また、問題が起きる事が予測できるのであれば、兆しを見逃す事無く其の芽を摘む事で未然に防ぐ事も可能である。

この聖徳太子の制定した十七条憲法第一条に「一曰、以和爲貴(やわらぎをもってとうとしとなし)、無忤爲宗(さかふることなきをむねとせよ)。」とある。過日、映像メディアの"テンミニッツTV"に登壇した法隆寺元管長・大野玄妙氏によると、「論語・礼記」出典の説があるが、原典とその意味に違いがあると言うのだ。

「論語」では「禮之用和爲貴」とあり、「禮(礼,れい)」と称される概念が存在する事が前提(条件)で成り立つのが「和」である。聖徳太子が説く「和」には条件が無い。従って、日本独自の「和」が十七条憲法ができる以前に存在した概念である可能性を、否定する事は難しそうだ。

今、外来の語彙を用いて、古来より存在する自らの思想哲学を紐解いた痕跡を「明察功過」の概念に見た。"古来"を超越する時間軸の先には、自然界のメカニズムが存在する。

植物や獣は、自然界が持つメカニズムから多大な影響を受ける。例えば、イワシ等群れを成す生き物には、未だその仕組みが解明されていない"認知のメカニズム"が存在する。

其々の個体が、各々に与えられた役割を果たす。勿論、彼らには言語を扱う能力はない。まるで、個体其々に群れ全体の動きと、各々に与えられた役割を理解する能力が存在するかの様だ。群れ其の物に意志すら感じる事であろう。

人間も自然界に存在する生き物だ。「和」には、人に残された野生の名残りを彷彿とさせる。決断の過程を経ずに、体現化に向けた行動を促す性質に共通性を見いだす事ができよう。

古来より、世の中に存在する全てに「魂」が宿るとする概念が存在する。また、自然界と人間に大きな影響を齎らす存在には「神」が宿るとされた。

古事記に登場する神には、困難が訪れる。必ずと言っても過分ではない。絶対的な存在ではないのだ。高等な存在にも関わらず、困難を体験する運命にある。時に、トリックスターとしての役割を担う。

人に宿る魂を「一霊四魂」とも表現する。敢えて、語句の成り立ちについては割愛する。人は魂が宿る肉体を持ち、その様子を表現する言葉である事には違いあるまい。即ち、高等な存在にも訪れる困難には、その魂の成長する機会を提供するのである。

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「和」,

決断の過程を経ずに体現化に向けた思考や行動を促す性格を帯びる

物事が変化する「兆し」の段階で本質を見抜き行動する性質を持つ

天皇の国師,

世の中に存在する全てに魂が宿るとする

困難に対する考え方

「直霊」が成長する機会

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トリックスターの紐解きから、

日本人が自然に持ち合わせてきた生き方「和」の核心部分に迫る

「和」の再定義,

まとめとエピローグ

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聖徳太子と仏教

「明察功過」は元々日本に存在した可能性?

霊的な存在としての

上代皇室とその仕組み

◎「明察功過」

時間や空間を超越

「明察功過」とは、聖徳太子の制定した十七条憲法の第11条にある言葉

要確認

近い将来、問題が起きるのであれば、

兆しを見逃す事無く未然に防ぐ

未だ成果が無くても

素晴らしい心掛けに対して、

褒めて応援する事

和歌で明察功過の能力を培う

五感に頼らない「知覚」で物事を把握し、

物事が形になる前に行動できる力

◎人の集まりを生き物の「群れ」に見立ててみる

例えば、千匹超ものイワシの群れに注目してみたい

個々のイワシは事前に打ち合わせなどせずに

行動する。

群れの

両端での様子をお互いに把握しているかの様な動きに驚きを隠せない。

お互いに通じているかの様なのだ。

未だ、

科学的に明らかにされていないのだが、

個体間で何かしらの通信手段が存在するそうだ

武田邦彦氏によると、

pp.34)

武田邦彦氏 論文

人間の知覚、および個と群れの認識

https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I030643589-00

国会図書館

http://www.ybn5.com/tezuka-gu/pdfs/hikaku1_03.pdf

PDF

6/15, pp.34

何かしら通信及び、意思疎通手段が存在する可能性

個々の細胞間、群れの個々の個体間

◎◎結論

「和」とは様々な意志を持つ人同士の集合体であり、

同じ価値観や哲学を共有する。

また、前もって言語による意思疎通を経る事なく、

目的意識を持って行動する事が可能である。

「和」とは

五感以外の知覚を用いて現状を把握し、

自己的な立場ではない俯瞰された知見から、

置かれた環境や仲間の為に判断及び行動が可能である。

決断の過程を経ずに、現状認識から行動までは自発的で無意識に到る可能性が高い。

「和」は何故存在したのか

自然界に存在する認知のメカニズム(イワシの群れ)の名残

トリックスターの存在意義

肉体は魂の器であり、困難は魂を鍛錬し、格を上げる機会

魂は

ヒエラルキー

課された困難を避ける事が出来ない

神世を現世に再現するのが使命

この世に存在する意義を見いだすのが幸せであり

悟りである

物差しとしての

「徳」

正しいこと

語源?

「内」「外」

内側で起きている出来事と

外部で起きていることの関連性

日本の戦国時代と海外で起きた列強による植民地支配

「和」,

無意識に認知や知覚できる能力?

イワシの群

はしとはしの個体が其々無意識に連携して行動

さざれ石

日本書紀に、

聖徳太子が定めた十七条憲法の記載がある。

官僚や貴族に対する規範である。

一曰、以和爲貴、無忤爲宗。」と、その第一条に

で最も有名な「和をもって貴とうとしとなす」

トラブルメーカーであるが、英雄でもある。

竹田恒泰 聖徳太子

親睦の気概

森羅万象

皇室をいただく日本の国の素晴らしさ (加瀬英明氏コラム),

東アジア歴史文化研究会

https://blog.goo.ne.jp/kirakiraboshi31/e/060007ef339e9e6a2746790459e51dff

あいさつの言葉のなかに日本がある 『加瀬英明氏のコラム』,

小松ドットコムさんのブログ

https://ameblo.jp/gold-eagle/entry-12115654680.html

聖徳太子の17条憲法の「和をもって貴とうとしとなす」の真意に迫る!,

てつログ, 会計士

https://tetsu-log.com/wawomotte-181217.html

食文化

戦略戦術 やまたのおろち

文学

レガリア 剣 琴

http://jinja-kikou.net/tuihou.html

法隆寺

「和」の定義

大野玄妙氏 法隆寺元管長

テンミニッツTV

https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1433

大野 皆さんもよくご存知のように、聖徳太子さんといえば、「和を以って尊しとす」という和の精神を提唱し、これを広めた方です。

 ではその「和の精神」とは一体何か。よくご存じのように、この「和を以って尊しとす」という言葉は、実は中国の『論語』、そして『礼記』からの出典で、太子さんはこの言葉を引用したのではないかということが昔からいわれています。

 そこで『論語』をきちんと読んでみると、これは礼の働き、「礼の用は~」というように書かれています。つまり『論語』が述べているのは、「条件付きの和」なのです。要するに、世の中の秩序や上下関係など、そういったものが正しく機能するためには、皆で仲良くしなければならない。だから和が必要である。こういう考え方が、もともとの中国的な和の考え方です。

 では聖徳太子さんの和とは、一体何か。実はこの和は、いきなり「和を以って尊しとす」と出てきます。つまりこれは、「無条件の和」です。条件がありません。そうすると、その無条件の和とは一体何か。それを考えてみるには、まず私たち日本人が、どのような生活をし、どのように現在の状況まできたかという歴史をたどる必要があるかと思います。そして、その歴史をたどる前には、聖徳太子さんよりもはるか以前から考えていかなければならないと思います。

論語 礼記  以和爲貴

原文と和訳

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/gakuji/012.html

リモーネの仮想のテーマパークへようこそ!

https://ameblo.jp/amemican/entry-12667038991.html

「和」はもともと、「おだやか、なごやかな状態」を意味する漢字です。その由来には諸説ありますが、一般的には「和」をヘンの「禾(カ)」とツクリの「口」に分解して説明されます。

「禾」は軍隊の門の前にある標識、「口」は神への誓いの言葉である祝詞を入れる器を表し、2つ組み合わせて「軍隊の陣地内で戦を止め、神の前で平和を誓い合う」様子を表現します。そこから「仲良くなる=おだやかになる、なごやかになる」という意味が生まれたといわれています。

和邇を騙す

須佐之男命

天宇受売命

「和」

自分を失う事

人ゆえに、

成功も失敗もある。

「和」

英語に訳せない言葉。

物事に身を委ね、事象の一部となる事を「和」とするからだ。

更に、様々な角度から俯瞰し、最適解を導き出す思考を持つ。

十七条憲法 現代語訳

http://www10.plala.or.jp/elf_/kenpou/2-1.html

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さて、現代社会で発達した心理学の概念を用いて"和"と"トリックスター"を紐解いてみると、とても興味深い視野に立てる事に気が付く。"下位自己"と言って、呼吸や心臓を動かすが如く無意識に特定の刺激に対する反応が起きる現象が存在する。

即ち、"和"と"トリックスター"が織りなす言動は"下位自己"としての分類の可能性に魅力を感じざるを得ない。双方の共通点はずばり"無意識"である事に尽きる。つまり、"決断のプロセス"がない。

再度、"トリックスター"の特徴に注目すると、衝動的な行動が他者を巻き込み困惑させる事が多い。其の一方で、戦略的な行動を伴なう英雄であり、文化文明を伝播する役割を果たす。

"和"も特定の刺激や状況に対して無意識で反射的な行動を伴う。即ち、影響が大きい事柄に対して"決断のプロセス"を経ずに、即座に行動に移るのが特徴だ。

集団に帰属する個人其々の言動に整合性が存在するのが最大の特徴である。更に、環境の変化に対する高い順応性が発揮され、集団を構成する人々の享受する恩恵や安堵が増す可能性が期待できる。

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,T/Sの行動は無意識で衝動的

,T/Sは英雄であり文化文明を伝播

,Wは無意識で具現化される言動であるが整合性を伴う

,両者の違いは合理性や整合性を伴うか否か

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では、無意識で整合性を伴う「和」が私達日本に於いて散見する理由と其の背景を考察してみたい。

◎先史よりボトルネック効果が誘発されやすい土壌

◎言霊, 世界最古の言語

◎天孫降臨, 主食に米作を選んだ

◎建國の詔, 共同作業が前提の社会構造だった

◎新嘗祭, 信仰と農業

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◎先史よりボトルネック効果が誘発されやすい土壌

まず、私達日本の国土が如何に災害に見舞われやすいのかを、数字で再度確認してみたい。日本は世界の0.25%程度の国土面積を持つ。我が国は其の国土で地球上で起きる災害の多くを被災する。

内閣府発表の「防災白書(平成26年度, 2014-2015)」によると、災害被害額は世界の17.5%に値する4,209億ドルだった。

例えば、マグニチュード6.0以上の地震回数が18.5%の326回(世界1758回)。活火山の数が7.1%の110件(世界1551件)。幸いな事に、死者数は1,5%の29千人に留まる(世界1913千人)。

また、私達日本の国土は世界の平均(880mm)より約2倍の雨(1718mm)が降り、2千メートル級の山脈が連なり雨蔭(ういん)が起きやすい(国土交通省)。

水源から河口までの距離は短く、日本一長い信濃川に於いても367kmである。自ずと、平均河床勾配もきつくなり、洪水時の流水量が平時に比べて激増する傾向にある。

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日本の河川で2番目の長さ(322km)である利根川では、洪水時の流水量は100倍に跳ね上がる。また、67番目の長さ(75km)の淀川流域には京都や大阪と云った大都市が存在するが、洪水時の流水量は平常時の30倍に相当する(国土交通省)。

淀川には宇治川、桂川、木津川と云った主だった支流が存在する。特に、京都付近で各々支流は都の南で合流し、都市部を避ける位置にある。

江戸時代に「利根川東遷」の事業が実施された。凡そ60年もの長きに渡る工事では、軍事や経済的な側面だけでなく、江戸の民を水害から守る大きな目的が存在した。

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◎言霊, 世界最古の言語

私達日本人は森羅万象万物に魂が宿る世界観を持つ。言葉や音にも魂が宿り、五十音にも意味を持つ特殊な言語を操る。無意識で整合性を伴う「和」が成り立つ最高の環境にある。何故なら、物事の現象から其の背景から次の展開すら推し量れるからだ。

約11万年前には人類が住んでいた痕跡として、島根県出雲市で石器が出土する。また、凡そ1万年程続いた縄文時代に争い事で死亡した遺体が存在しない。

弥生時代の末期に、倭国大乱と呼ばれた大規模な内乱が震旦の史書複数に記載があるそうだ。遺跡に痕跡が確認できるものの、詳細は不明である。内乱について、海外の歴史書に記載されたのは確かだが、民族其の物が消滅する程の重篤性は無かった様だ。

15世紀後半から始まる西洋列強による植民地支配は殆ど全世界に及んだ。大東亜戦争では米国を中心とした連合国相手に熾烈な戦いをするが、残念ながら占領下に置かれてしまう。不幸中の幸いではあるが、私達日本では言語其の物が入れ替わる事は無かった。また、激しい民族浄化や植民地化を経験すること無く昭和の高度成長期を享受した。

◎天孫降臨, 主食に米作を選んだ

三大神勅の一つに「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」がある。邇邇藝命に斎庭(高天原の神聖な水田)の稲穂を与え、民を養うように神託が下された。其の内容の重みを深堀してみたい。

主食の定義が農林水産省のウェブサイトに記載されている。人々が日常的にもっとも多く利用する食べ物で、穀物とイモ類が代表的だ。

世界では、トウモロコシ(10.3億トン)、小麦(7.4億トン)、米(4.8億トン)、ジャガイモ(3.8億トン)が年間生産量が多い順に挙げる事ができよう。

我が國の主食である米は水田で作る。連作障害が無い。旧皇族竹田宮家末裔の竹田恒泰氏が運営する「YouTubeチャンネル」に、水田農耕と畑作農耕を比較する映像がある。竹田氏によると、水田農耕には連作障害が無いので、日本では奴隷制度が発達しなかったそうだ。

連作障害が起きないので、同じ収穫量を畑作農耕に比べ1/5の開墾面積で済む。また、追肥の必要性がない事も加味すれば、1/10の労力で得られる事になる。従って、大量の家畜と奴隷を必要としなかった。

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淀川 平均河床勾配

宇治川:約 1/640~1/2,900(天ケ瀬ダムから三川合流点)

桂川:約 1/380~1/3,400(渡月橋から三川合流点)

木津川:約 1/200~1/1,000(笠置橋から三川合流点)

淀川中流部:約 1/2,000~1/4,700(三川合流点から淀川大堰)

感潮域:1/17,000(淀川大堰から河口部)

世界に占める日本の国土面積

M6以上の地震の占める割合

活火山の占める割合

災害に費やす金額

水害の起き易い(用語確認)

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漁業 運命共同体

●下位自己としての「和」が散見する背景と理由

・火山噴火 水害 地震 津波 疫病 飢饉 等 人口が極端に減る可能性のある自然及び社会情勢 ボトルネック効果

・連作障害の心配がないが共同作業が必要な米作

・信仰と農業が一体であった 共同作業が前提の社会構造だった

・建国の詔 おおみたから 竈の煙

●サイコパシィと利他的罰

⚫︎日本の災害 感覚値

,政府発表 活火山数 M6超地震

内閣府 平成26年版 防災白書|附属資料1 世界の災害に比較する日本の災害被害

https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h26/honbun/3b_6s_01_00.html

河川特性

,国土交通省 近畿地方整備局

琵琶湖・淀川流域の特性

https://www.kkr.mlit.go.jp/river/yodoriver_old/kaigi/teigen/pdf/teigen_1.pdf

,我が國と諸外国の河川勾配の比較

淀川の特徴

淀川河川事務所 国土交通省

https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/know/summary/ryuiki/feature.html

洪水時と平常時の流量比較

目次 > 第3章 水害・土砂災害の発生要因と社会構造の変化 > 3-1 洪水を受けやすい国土

国土交通省

淀川 67位 75km

常願寺川 長さ#87 56km 水源富山県富山市北ノ俣岳(標高2662m, 国土交通省)  

淀川 長さ#67 75km 水源標高538km 淀川水系高時川栃ノ木峠

利根川 長さ#2 322km 水源標高1831km 大水上山(おおみなかみやま, 国土交通省)

信濃川 長さ#1 367km 水源標高2475km 甲武信ケ岳(こぶしがたけ)

常願寺川(じょうがんじかわ)  平均河床勾配 1/30 (国土交通省北陸地方整備局立山砂防事務所)

淀川 平均河床勾配

宇治川:約 1/640~1/2,900(天ケ瀬ダムから三川合流点)

桂川:約 1/380~1/3,400(渡月橋から三川合流点)

木津川:約 1/200~1/1,000(笠置橋から三川合流点)

淀川中流部:約 1/2,000~1/4,700(三川合流点から淀川大堰)

感潮域:1/17,000(淀川大堰から河口部)

利根川 平均河床勾配

烏川&神流川: 1/200~1/600 ()

https://www.ktr.mlit.go.jp/takasaki/takasaki00844.html

八斗島(烏川合流地点, 群馬県伊勢崎市): 1/500

渡良瀬川

(淀川河川維持管理計画 国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所)

勾配の計算

https://tomari.org/main/java/koubai_keisan.html

ref:

日本のおもな河川の長さ

家勉キッズ

https://ieben.net/data/nature-japan/river-length/

世界の川の長さTOP20

https://www.graphic-data.com/page/geography/014

世界一ナイル川 全長6695km

ビクトリア湖 主流の一つ白ナイル川源流 水面の標高1134m (wiki.)

⚫︎明治の物理学者 寅吉氏 コラム描写

,須佐之男命の所作を火山活動 カチサビ

⚫︎火山灰による冬 (固有名称) 近年の学説

,フランス革命の遠因

,アイルランドのジャガイモ飢饉

⚫︎種子島より西方のカルデラ 破局噴火

,要約

,約7千年前 縄文時代 舞昇から神やらい

それでは、私達日本の国土が如何に災害に見舞われ易いのかを、(用語確認)

数字で再度確認してみたい。

世界に占める日本の国土面積

M6以上の地震の占める割合

活火山の占める割合

災害に費やす金額

水害の起き易い(用語確認)

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◎建國の詔, 共同作業が前提の社会構造だった

平和台公園(宮崎県宮崎市)に、「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」と呼ばれる塔が聳える。皇紀二千六百年(昭和十五年,西暦1940年)の折、政府による紀元二千六百年奉祝事業が日本全国で催された。

其の一環として、神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)を祀る宮﨑神宮での拡大整備事業。また、当時の宮崎県知事相川勝六氏も"八紘一宇を体現した日本一の塔(八紘之基柱)"の建設を提案した。後に、「八紘之基柱」は昭和三十九年(1964年)に開催された東京オリンピックの聖火リレーのスタート地点となる。

「八紘一宇」とは神武天皇陛下の「建國の詔」に「掩八紘而為宇(八紘をおほいて一宇となす)」とあり、其の件に由来する。民を元元(おほみたから)とし、四方八方の全てが一つ屋根の下に暮らす家族となろう。民を幸せにする為に國が建てられた。

従って、奴隷に象徴される、搾取される立場の人達が存在しない。その様な社会構造であった可能性が高かったと明言できよう。

上下の分け隔てなく、家族のような存在でいる事が可能であった。農業を含めた生活全般に於いて、お互いを思いやり慈しむ営みが繰り広げられていたのではないだろうか?

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◎新嘗祭, 信仰と農業

さて、無意識で整合性を伴う「和」が私達日本に於いて散見する理由に「新嘗祭」を忘れてはならない。「新嘗祭」とは宮中祭祀の一つであり、其の年の収穫された新穀を天皇陛下自ら天地地祇(てんじんちぎ)に供えて感謝の奉告と供え物を口にする儀式である。

ここで、信仰の定義を辞書で確認したい。特定の宗教を信じ崇めるとあるが、経験や知識を超えた存在を信頼して、自己をゆだねる自覚的な態度とある。即ち、物事への判断基準を信仰に基づくとあるのだ。

我が國では古来より、大自然を構成する全てに"霊(ひ)"が宿るとする概念が存在した。また、水田農耕で米を栽培する事で、集団を支えるのに虐げられた人達を必要としなかった。即ち、仲間同士での共同作業で十分に生産できる可能性が期待できた。

従って、洞察力で相手が何を考え感じているかを察する行動様式が自然に発生した。其の様に推定できる可能性を否定する事はできないのではないだろうか?

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